What's 近隣住民         

プロフィール

 
2006.8
福島の高校で出会う。
JAZZ研究部に所属していた、桐原龍(Key)、高橋勇成氏(Gt、現パイオニア)、に加え、
当時野球部であった青柳裕貴(Vo)、の3人で、3年の文化祭のライブで即席バンド結成する。
勇成氏がその抜群のセンスで命名したことは、あまりにも有名な話である。
しかし名前の由来は、未だ謎のまま。
 
文化祭でのライブは、多くの観客を動員し大成功のうちに幕を閉じた。
 
2007.3
その後意気投合し、初のCD制作を試みる。
Going Steadyの名曲「佳代」と尾崎豊の「Forget-me-not」のカバーをレコーディング。
初の自主制作CDは、メンバー共通の担任であったY氏にも贈られた。
 
2007.5
桐原が東京に進学後、突然の麻疹休講のために帰省した際、ノリで初のオリジナル曲の制作にとりかかることとなる。
勇成氏の提供した楽曲、青柳の歌詞をもとに、「TO→」楽曲を通称タカペンスタジオで制作。
その制作時間は、わずか12時間ほどであった。
福島一とも言われる、勇成氏のドラム打ち込みの技術を十分に発揮した。
だが、これを期に暫く活動を休止。
 
2008.4
青柳、勇成氏が上京し、活動再開。
しかし、音楽性の違いにより勇成氏が事実上の脱退。
Special Thanksとして近隣住民をサポートすることとなる。
以後、青柳、桐原の2人でのピアノアコースティックデュオの形態となる。
 
2008.8
代々木公園にて初の路上ライブを行う。
それまで、主にコピーに専念してきたが、本格的にオリジナル曲にとりかかることになる。
 
2008.10
アンコール渋谷にて初ライブ。
多くの観客を迎え、上々のデビューであった。
現近隣住民としてのオリジナル曲、「今」、「漣(さざなみ)」を披露した。
 
2008.11〜2009.2
その後、アンコール渋谷にて3回のライブを重ね、着実に進化を遂げる。
オリジナル曲「君よ幸せであれ」、「不思議な気持ち」を披露。

カバー曲も、「レイニーブルー(徳永英明)」、「最後の雨(中西保志)」が好評を得ている。

2009.3〜
渋谷多作、代々木Boogalooなどでライブ
2009年5月に活動休止

2009.10
5ヶ月のブランクを経て休止活動再開

 

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